株式会社マルヨネ こだわりの極上麺 うどん・そば・きしめん・ラーメン・味噌煮込みうどん・パスタ 愛知県 乾燥麺の製造販売

株式会社マルヨネ
マルヨネの歴史
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株式会社マルヨネ
マルヨネの歴史

マルヨネ食品の確かな品質は、創業からの歴史によって語り継がれています。


明治時代、愛知県江南市に住む脇田彌十郎は、家の後ろに流れる木曽水系の水を利用して水車で粉や大麦を挽いた仕事をしていました。農家から麦等を委託されてそれを加工して加工賃をいただくという仕事です。
彌十郎の長男竹次郎、そして次男米松は一緒に親の仕事を手伝っていました。大正8年次男米松が分家して現在の一宮市の場所に移り、最初に始めたのが本家で製粉した粉を加工し製麺屋として始めたのがマルヨネの原点であり、始まりになります。

脇田米松は隣に流れる木曽川を原動力にした水車と直径1mの石臼で粉にして製麺加工しておりました。木曽水系のおいしい地下水を利用して麺を作りたいという思いが製麺所として創立、脇田製麺所という名前で始まり米松の子供たちが手伝って家内工業として仕事をやっていました。まだ製麺機械もなく手で粉を打ち乾燥させて麺を作るという本当の手打ち麺を販売しておりました。(電気が通ったのも昭和14年頃だと聞いております。)その頃はまだ木曽川でも船を利用した運搬業務が盛んに運営されており、乾麺もよく船便で木曽川から笠松や犬山等の住民の一般家庭にまで搬送されていたそうです。
その時の米松が商品としてヒットさせたものの第一号のネイミングが「格上」「彌印」「竹印」といった商品でうどん、きしめん、そうめんといったシリーズで販売しておりました。いずれも脇田彌十郎、竹次郎の名前から取ったネーミングで各家庭に広まり浸透していった商品だと聞いております。

マルヨネ旧工場そして、昭和23年尾北食糧株式会社として会社組織に変更し、米松の四男脇田喜久雄が代表取締役に就任し、本格的に機械麺での販売をする事になります。
喜久雄は終戦後の商売として、弟松次郎と地元の友人権七と3人で立上げ製麺機で麺をつくり販売して生活をしていました。2代目脇田喜久雄は特に製麺機械の分野でも広く活躍し「特殊熟成練上装置」「50%加水による横延べ特殊ローラー付全自動製麺ライン」も完成させ、その頃の業界では格別に評価をいただいていたもようです。その頃には名前も変更し、昭和39年7月株式会社マルヨネとして、先代米松の米という字を使用し現在のマルヨネが今にあるのです。
そして脇田喜久雄の長男である3代目脇田孝篤が代表取締役に就任し、愛知県の名物でもある「味噌煮込うどん・きしめん・カレーうどん」を中心に特徴ある商品を乾麺だけにとどまらず様々な商品展開を進めつつあります。

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